« 再会とすげーチョコレート | トップページ | いいリズム、感じて来たゾッ! »

2009年2月17日 (火)

1945年6月23日という日

こんにちは!

沖縄に来て8日目の月曜日。

昨日は早起きして、

那覇市から南へ車で40分ほどの

糸満市に向かいました。

heiwakinen-map

沖縄本島の南端に位置する『平和祈念公園』。

着いてまず、引き寄せられたのは

目の前に広がるこの海岸でした。

heiwakinen-sea

曇り空の下、小雨、強い風が吹いていました。

この景色から受ける印象に

どこか違和感を感じながら、

資料館に向かいました。

heiwa-kinen2

資料館に入る前、見つけたキャタピラー。

これは、当時のアメリカ軍の戦車のものでした。

heiwa-kinen1

資料館内は撮影が禁止だったので、

写真は撮れませんでしたが、

第二次世界大戦での、

沖縄戦のたくさんの記録を

じっくり見ているうちに、

最初に観た海岸の風景から受けた

印象の訳が理解できました。

日本国内での最大規模の地上戦が

あった場所でした。


帰り、資料館内の食堂で

沖縄そばを食べました。

そばが食べたかったことよりも、

お店の方に聞きたかったことがあったからです。


ユ・『この祈念公園はどうしてこの場所にあるんですか?』

おばちゃん・『ここは、沖縄戦の終焉の場所なんです。
       アメリカ軍に追われたたくさんの人たちが
       あの海に飛び込んだり自決したりした場所なんです。』


1945年6月23日は

沖縄戦が終結した日なんだそうです。

毎年、6月23日には、平和祈念公園で

『沖縄全戦没者慰霊祭』が行われるそうです。

奇しくも、僕が生まれた日も6月23日。

これからは、誕生日が来る度、

必ず思い出そうと思いました。

僕にできる、平和活動はなんだろう??


ではまた!

Catch!

Line_3

|

« 再会とすげーチョコレート | トップページ | いいリズム、感じて来たゾッ! »

日本全国CATCHの旅2009」カテゴリの記事

コメント

沖縄は複雑な事情を抱えた島ですよね。


アメリカ軍の駐留基地が今も尚あり、現地の人は一杯我慢をして暮らさなきゃいけないこともあると思います。


そういう意味では、今も戦争の面影は残り続けているのだと思います。


重くて暗い海はその象徴ですね。


沖縄は明るいだけでない。


そう感じます。


ユキンコさんの絵の活動を通しての平和がいつか実現されること望んでいます。


悲しい場所や人がこれ以上増えてほしくないです。

投稿: むらじ | 2009年2月17日 (火) 17時00分

さっきのコメントでちょっと足らないとこがあったので…。


平和を実現するのは一人の力では実現できないから、ユキンコさんがそういった活動をする際は、是非是非、ユキンコフレンズに声を掛けて下さいねgood


この旅で全国にユキンコフレンズが出来れば、本当に大きな力になると思います。


この旅には色んな意味がある。


ユキンコさんのレポート見る度に考えされます。


考える機会を与えてくれてありがとう。


これからも、気を付けて旅を続けて下さい。

投稿: むらじ | 2009年2月17日 (火) 17時10分

CATCHの 旅は rockshine

平和祈念の 旅 でもあるんですね confident。。。

投稿: non non | 2009年2月17日 (火) 17時42分

沖縄戦も 広島.長崎と ともに けっして 忘れては ならない 出来事です。
断崖から お母さんと 叫びながら 自決していった少女達の 話しを 聞いた時 心が 痛みました。修学旅行に 行ったのが 19才の時で 自分達と 同じ位の年頃で. 夢も 希望も その先何十年もの 未来を 生きて行ける 一番 楽しい時期を 全て 諦めなければならなかった その事を 思うと.話しを 聞きながら 涙が 出たのを 覚えています。

綺麗なだけではない 沖縄やはり 考えさせられる 場所です。

絶対 戦争を しては いけないのです。
世界中の 紛争が なくなる世の中に どうしたら なるんでしょうか。

ゆきんこさんは どうしますか
芸術は どんな 時代も けっして 無くなる事は ないrock 愛と 希望と 夢を 伝える そのままの ゆきんこさんで いてくださいそのままで 観た者は 元気を 貰えるのです。
絵を 観て 心も 豊かに なるのですconfident

私は 何が できるかな...

投稿: ははっち | 2009年2月17日 (火) 17時57分

『バタフライ・エフェクト』
蝶の小さな羽ばたきが、いつしか大きな嵐を巻き起こす。

たったひとりの小さな願いでも、いつしか大きな力となって世界を動かす。

思うのは簡単。だけど、それを行動に移すには、努力や勇気が必要。
ユキンコさんは、それが出来る人です。

投稿: mihiro | 2009年2月17日 (火) 19時51分

沖縄に行くと、普段忘れてしまっていることが、そこには生きていて、リゾートしながらも深く考えてしまうことがありました。

平和を望まない人間なんていないだろうけれど、悲しい現実が世界中にはたくさんあります。

ユキンコさんの旅は、とても大きなものを摑まえていきそう。その旅の先のムコウが楽しみです。

投稿: おてもと | 2009年2月17日 (火) 20時23分

太平洋戦争で住民を巻き込む唯一の地上戦があった沖縄。
平和祈念資料館を訪れ、ひめゆりの塔に手を合わされたのですね。

1945年、死の戦場に駆り立てられ命ぜられるまま献身的に協力し、
尊い命を失うことになってしまったひめゆり学徒隊の悲惨な運命から、
当時の惨状が伝わってきて・・・・

私もここを訪れたことで、リゾートでない部分の沖縄を知り、
平和の尊さについて考えさせらたことを、改めて思い出しました。

投稿: るんるん | 2009年2月17日 (火) 21時56分

沖縄には行ったことがありませんが、
ユキンコさんがこの海岸を観た時の印象、違和感は、
私がずっと前にサイパンのバンザイクリフを目にした時の感じに似ているんだろうか…
…なんて想像してみました。(自分のことでスミマセン…)
言い表せないような切なさが襲ってきて、
胸がギュウっとなったことを、今でも忘れることができずにいます。

ずっとずっと、感じ、弾け、輝きながら、
“ユキンコアキラ”の中に沸き上がるiroiroを伝え続けてくださいね。
それが、たくさんの人々の笑顔と、大きなチカラの素になる…
ステキですねconfident
その姿を見守り続けたいです。
そして、私にも何かできるかなぁ。


投稿: haiironeko | 2009年2月17日 (火) 22時01分

戦争も平和も”人”が作り出すもの。

しかし自然に出来るものではなく 必ずその前には

何かの 「きっかけ」が発生している

1人の発言や行動が のちのち取り返しのつかないものとなる事がある

現代の日本は 不況の渦にあるけど

しかし まだまだ 限りなく平和だ

物のあふれる現在  我慢を知らない人間が増えてきた


終戦から そんなに時は経っていないのに
時代が変えてしまったのか・・・・

もう2度と繰り返さないでほしい

この時代を楽しんで生きていきたいから・・・


投稿: はなこ | 2009年2月17日 (火) 22時14分

沖縄へは出張で一度行ったことがありますが、
いろいろ複雑な思いを抱きました。

芸術作品は時代を映す鏡です。戦争があれば、
戦争を題材にした悲しい絵が生まれてしまう。

芸術家の方々が、人類の負の部分を描いた
作品よりも、平和で美しい作品をより多く
生める世の中になるよう祈ってやみません。

投稿: YC | 2009年2月17日 (火) 22時18分

今日、何気なく国際通りを歩いていたら・・・

ユキンコアキラさんのパフォーマンスをやっていて、ちょー興奮しました。

旅をしながら活動しているんですね。

私も、何気なく東京から沖縄に旅行に来ました。

明日も見に行けたら行きますねぇ~

投稿: メガネガオ | 2009年2月17日 (火) 22時54分

海が暗く悲しい

ひめゆりの塔の話

自決しなければならなかった少女達を思うと、涙を禁じえません。

こんなつらいことは、もうおきてほしくないです。

ユキンコさんがこの場所にきた事も、誕生日が6月23日って事も、何か意味があるきがします。

ユキンコさんは、絵を通して世界中の人のこころを温めてくださいね。

ユキンコさんなら、絵で訴えることができると思います。

投稿: 渚 | 2009年2月18日 (水) 01時10分

アキラ君。ここもできたら…というか、ぜひ訪れてください。絵を描く人ならなおさら見て頂きたい。
ある絵の前で、その圧倒的な無言の訴えの前に私は凍りつきました。
屋上から米軍基地をほぼ真下に見て、言葉を失いました。

ここは、沖縄に行くなら必ず行くべき場所だと思います。

「佐喜眞美術館」(宜野湾市)
http://sakima.art.museum/

投稿: しのぶ | 2009年2月18日 (水) 14時46分

初めて投稿させていただきます!
昨日、あなた様を国際通りで見てド肝抜かれましたぁ!思わず、友達の前でアナタのステップをマネしてしまいましたぁdashdashdash

これからも活動、応援しておりますdashdashdash


GO MY WAY! できたぁ!

投稿: hisac | 2009年2月18日 (水) 15時35分

私もそこを、訪れたことがあります。

私自身は東京の人間ですが、
どういうわけか、
学生時代から沖縄出身の友人が周囲には多くて、
いろんな話を聞きました。
とくに私の年長の友人たちは、
「返還前」の子どもだったので、
小学生のケンカにふつうにナイフが出てきて、
刺されたあとがあるとか(女の子なのに)、
ドルでお菓子を買っていたとか、
本土とは違うノリのエピソードが満載でした。
そう、そこはアメリカでもあったんですよね。

いろいろな事を考えさせられながらも、
いちばん強く思うのは、
歴史はどこかで区切る事ができない事、なのかも。

投稿: ユウ | 2009年2月18日 (水) 20時37分

沖縄民謡を聴くと寂しさが入っているのは
たくさんの忘れては行けない事があるからなんですよね

日向があり影がある。
悲しみを知ってるから、笑顔になりたい。

日々感謝ですcute

投稿: りぃ♪ | 2009年2月19日 (木) 23時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/533459/28157919

この記事へのトラックバック一覧です: 1945年6月23日という日:

« 再会とすげーチョコレート | トップページ | いいリズム、感じて来たゾッ! »